第17話

 

「ほら、匠君。あと5周だ。もっと足を上げて。」
激痛に顔をしかめながら平行棒のような機械に掴まって体ごと引きずるように動く。
前には進んでいるものの、歩いているとは言いがたい格好だ。
目の前では俺のリハビリに付き合ってくれている涼子さんが椅子に座りながらじゃがりこを齧っている。

「・・・・涼子さん。」
今日はこの辺で。と目で訴えるけれど聴いてくれそうにもない。
「昨日はもう少し歩く事が出来た。今日はあと5周。」
じゃがりこを取りに来い!と言わんばかりに椅子に座ったまま冷たく言い放つ。
「だって痛いもんよ・・・。」

「痛くなどない。ほら、進む。」
中々に鬼のようだ。

「Def Leppardのドラムのリック・アレンは交通事故で左腕を失った。
それでも立派に復帰して正式メンバーとしてレコーディングはおろか、ライブでだってドラムを叩いてる。」
それなのに五体満足の匠君が歩けないなんて事があるはずが無い。と涼子さんは言うのだけれど。

「うん。大分匠君の足も動くようになってきたみたいだ。」
病室への戻り、車椅子をカラカラと押してもらいながら話をする。

「そうかな。なんか感覚はあるんだけど。なーんか引きずってるだけのような気がするよ。」
おかげで腕はパンパンに腫れ上がるし。

「そうか?それでも掴まって一応歩けるのだから大分の進歩じゃないか。」
先生もそう言っているし。と嬉しそうに言ってくる。
心なしか車椅子のスピードもいつもより速い。

「病室に戻ったら一緒にテレビでも見よう。」
「へえ、何借りてきてくれたの?」
「なんだっけな。アクション物で匠君が好きそうな奴だったから。」

無論ビデオデッキは涼子さんの持込だったりする。
親やら友達やらからの見舞いが一段落して。
落ち着いて病室を見てみると、部屋の中はなんだかまるで涼子さんの部屋のようになっていた。
ちなみになんだか申し訳ないことに病室代の殆どは涼子さんのお父さんに払ってもらっていたようで
意識が戻って移った先の病室も個室で環境としては何だかとても良い。

「確か何とかって言うよく喋る黒人が出てる刑事ものだったな。」
後ろから話し掛けてきている涼子さんは。
結局俺の意識が戻ってからずっと一緒にいてくれている。

何だか離れてると又どうにかなってしまうとでも思い込んでいるような感じで
給湯室にお湯を取りに行ってもぱたぱたと小走りで帰ってきてなんだか正直少し申し訳なく思う位だ。
学校は休んではいないみたいだけれど、夕方の5時には必ずここに来て10時頃まで一緒にいたりする。
4年生だから授業のない日と土日に到っては9時頃には病院にきてくれている。

病院は意外とする事がなくて、
リハビリと検査の時間以外は寝ていたりCDを聞いたり本を読んだり位しかすることがないから
涼子さんが来てくれるのはとても嬉しいのだけれど。
それでも涼子さんには学校も生活もある訳だし。

意識が無かった時はどうだったのかと聞いても看護婦さんは笑って答えてくれなかったし、
涼子さんは暇な時に見に来ていた。としか言ってくれなかった。
今は暇な時どころじゃあないだろう。
正直今のこのペースでは涼子さんの負担になっているんじゃないかと少し悩む所でもあった。

それに俺自身の相手も相当骨が折れるはずだった。

今でこそ会話は出来るし、ある程度の事までは出来る。
こうやって歩く訓練もしているし、正直言って先行きは明るい。
多分にリップサービスなのだろうけれど、医者からは奇跡的だとも言われている。
それでもこうなるまでには2ヶ月以上かかっていて。

意識を取り戻して体の感覚は急速に元にもどったけれど、それでも起き上がるまでには2週間はかかった。
ちゃんと喋ったり、コミニュケーションを取れるようになるまでさらに2週間。
車椅子に移れるようになるまで1週間。
病院内をうろつけるようになるまで1週間。

これからはもっと長いという話だ。
元通りになるとしても、もうちょっと時間がかかるのだろう。

とりあえずの目標は来年度、出来れば今年の後期から車椅子無しで学校に戻れるようになる事だ。
とにかく時間がかかるのだろう。
涼子さんもそれはわかってくれている。
だからこそ俺は、涼子さんには疲れて欲しくないのだ。
涼子さんがいなくても大丈夫だと言う所を見せて安心させなくてはいけないと思う。

それに俺は休学しているけれど、涼子さんは4年生。
就職活動やなんやらと本当はすごく忙しいんじゃないかと思う。
なによりも涼子さんには俺と一緒にいて疲れたなあ。なんて思って欲しくない。

その、好きな人がいて。涼子さんだけど。
その人と一緒にいれる時間が少しでもあるのなら、
例え自分がどんな状況であろうと負担に思って欲しくはなかった
下らない見栄なのかもしれないけれど。

だから首を回して涼子さんの方を向いて。
「涼子さんさ、毎日だと疲れるだろうから、今まで通りのペースでいいよ。俺一人でも頑張れるし。」
無理しないで欲しい。なんてずっと考えていた事を思い切って言ったのだけれど。

涼子さんは立ち止まってきょとんとしてしまった。
同時に車椅子も止まる。
「今まで通りのペース?」
匠君は何を言っているのだろうという風に聞き返してくる。

「いや、ここ2ヶ月もずっと涼子さん俺の所に来てくれてるし。」
ほら、わかるっしょ?

「うん。当たり前じゃないか。」

「涼子さんが疲れちゃわないかなって思って。」
「匠君は私と一緒にいたくはないのか・・・」
そうか。と呟いている。何だか下唇が不満そうだ。
人の話を聞いてください。

「いや、違うよ。違うって。涼子さんもやる事沢山あるんじゃないかなって。」
それに、義務感とか感じちゃってるんじゃあないかなあって。
だったらやだなあって。ほらほら。

そう言うと涼子さんは後ろから俺の顔を覗き込んで暫く考えこんだ。
目を動かして考えている涼子さんの吐息が顔にかかる。
涼子さんの顔を見返す。
真っ白な病院の壁と、車椅子から見ると意外と高い天井が見えた。

その体勢のまま、眉を寄せて暫く考えた後。
「やる事なんてないじゃないか。」
なんて、なんだか遊んでもらえない子供みたいな表情で涼子さんはそう言ってきた。

がらがらと音を鳴らせて病室の中に戻る。
「じゃあ、匠君がねむりこけていた時のペースで私はここに来れば良いと言う事だな。」
病室に入って、別に俺が会いたくないと言っている訳じゃないと納得すると涼子さんはそう言った。
肩を潜めてふう。と溜息を付かれる。
何だか少しコミカルですね涼子さん。

「眠りこけてたって・・・。まあ、そういう事かな。負担にならないくらいに。」
涼子、俺はお前の体の心配をしているんだぜ?勿論心もな。

「眠っていてずうっと私の事を放っていたじゃないか。匠君は。」
はい。その通りなんですけど。ごめんなさいマジで。

「前の通り・・」
涼子さんは車椅子を押している手を止めて。
暫く考えて何とも言えないニュアンスで呟く。

「いや、あんまり時間を空けられるとそれはそれで・・・」
出来れば週に2度くらいは・・・
「我侭だな匠君は。」
だったら前の通りなどと言わなければ良い。と怒られる。

「いや、その。無理させたくないって言うか。」
こう、頼もしい彼氏づらがしてみたいと言うか。

「わかった。匠君がそう言うならそうしよう。匠君が寝ていた時通りだな。」
ふむ。仕方がないがそれなら確かに問題は無いだろう。別段疲れないしな。
くつくつと。珍しく悪戯っぽい笑い方をしながら。

涼子さんは後ろから俺の頭の上に顎をのせてきて。
「匠君。二言はないな。」
なんて、そんな事を言ってきた。