第15話

 

「あ、僕はいいのに。あ、あぁ、あーその位で。ありがとう。」
ベッドの横にある白い机の上でコポコポとお茶を出すと匠君のお父さんはそう言いながら恐縮してくれた。
勿論今までにも何度も会っているのだけれど、このお父さんは中々に匠君に似ている。
雰囲気とか。言葉とか。髪の毛が白くってにこにこと笑う所も。

「えーっと。匠君はチョコレートケーキだから。お父さんはモンブランとタルトとどっちが良いですか?」
お茶も出したことなので机の上に駅前で買ってきたお気に入りのケーキを並べる。

「あ、ごめんなさいね。僕の方が買ってこなきゃいけないのに。」
ありがとう、なんて言ってくるお父さんにフォークを添えてモンブランを出してあげる。

かちゃりとフォークがお皿を叩く音がした。

「お父さんは御煎餅とかのほうが良いかと思ったんですけど・・。」
いっつもケーキなので・・と続けた。

「あー良いよ、いい。甘い物なら何だって。」
大好きなんだ。甘い物。なんてにっこり笑って言ってくれる。
そういう顔も、とても匠君に似ている。
当たり前なのだけれど。

「少し痩せたかな。涼子さん。」
お茶をすすりながら3人で食べ始めた所、急にお父さんはそう言ってきた。

「あ、そうですか?ダイエットはしてないんですけど。ありがとうございます。」
ふふ、と笑って答える。結構甘い物は食べているし、体重は変わらない筈なのだけれど。

「いや・・そういうのじゃあないんだけど。」
うん。まあいいやなんて、お父さんは首を竦めながら答えてくれた。

「そうそう、最近良く匠君とお話するんです。」
私がそういうと、
匠君のお父さんはへえ。そうなんだ。と笑いながら話に乗ってくる。

「どんな話をするの?」

「うーん。昔こんな事があったね。とか。どこに行きたいね、とか。今日の天気とか。」
そんなとこです。と答える。

「へえ。そうなんだ。」
そうかあ。それは楽しそうだ。なんて。

「今日は顔色も良いみたいだし。お父さんが来て喜んでるんだと思いますよ。」

そんな事を話しているとお父さんは頷きながら急に椅子に座りなおして。
「うん。いつもありがとう。ちょっと安心したよ。でも君も少し休まないといけないね。」
匠君と同じ声でそう言ってきた。

「全然。私、いっつもここでのんびりしてますから。」
最近はパッチワークやってるの。

「うん。勿論、これからも匠と一緒にいてくれると嬉しいよ。
でも学校帰りにちょっと寄ってくれるとか、それだけで匠は嬉しいんじゃないかなと思うんだ。」
違う、早く一緒にお話ししたいだけ。

「だって、起きた時に匠君の傍に誰もいないと寂しいかもしれないし。」

「勿論そうだね。匠だって起きた時に涼子さんの顔を見れたらとっても喜ぶと思うよ。」

「それに私は他に何も出来ないし。」
お父さんは横を見て、お。ラジカセだなんて言ってカチャカチャと触っている。
匠君と同じ。にこにこと笑いながら、私の話を聞いているんだか聞いていないんだか判らないんだから。

でも、こんな話をして、そんなものを見ていたらなんだかしらないけれど。
何かがぽたぽたと私の膝の上に落ちてきた。

「だって匠君の家からはここは遠いからお父さんもお母さんも中々来れないし。」
違う。こっちの病院にして欲しいと何度も言ったのは私だった。
私はずっといっしょにいるからって。今思い出すとその時の私は子供のような事を言っていた。

「うん。わかるよ。涼子さんが随分匠の為に悲しい思いをしてくれたって事くらい、私は判る。」
匠君のお父さんは椅子に座ったまんまうんうん。と頷いて、それからケーキを一口食べた。

「あれは傑作だったしね。」
はははと笑って。

「ずっと一緒にいるんだから。匠君に一緒にいるって言われたからって。」
匠君の方を見て。

「その後涼子さんは、結婚するって意味だったなんて言ってきたから。」
さすがにこの気が弱い奴が学生のうちにそんな大胆な事を言う訳は無いよなあ。
なんてCDケースをかちゃかちゃと弄りながら言ってきた。

「下手な嘘だったね。涼子さん。ありがとう、すごいね。感心してしまうよ。
でも、もう一年にもなるんだし。匠とは無理しないで。逃げやしないんだから。」

匠君と一緒で口下手だけれど。
私は優しい言葉だと思った。

所在無さげにCDケースを弄りながらそんな事を言ってくるお父さんを見ていて、ふと私は考えてしまった。
私はお医者さんでもないのに何かをしなくちゃって。
どうにかしなくちゃって、そんな事ばかりを考えていて、
自分がどんなに寂しくって、悲しい気持ちでいるかどうかもわかっていないのかもしれない。

白髪は白髪でかっこいいけれど、ずっとお話できなかったら。
このまんま、匠君のお父さんみたいに白髪になっちゃったらどうしよう。とか
そう思ったら私はなんだか本当に悲しくなってきてしまった。
私はだらしないって怒る事も出来ない。

慌てて唇をぎゅっと噛み締めて。

「だって私のせいだから。匠君が私の事をかばったりしたから。」
視界に映る匠君のお父さんがぼやけて見える。

「馬鹿なんだ、私は自分の頭を抱えていたのに、匠君も同じようにすればよかったのに。」

でも。
「きっと匠君は、私を守らないとって思ってくれたんだ。」

だから。
「匠君とお話がしたい。家に帰ったって誰もいないし。
病院にいたって匠君はケーキも食べてくれない。」

右手でごしごしと擦った。
「今度は私が守ってあげるの。音楽を聴いて、お話しをして。」

急に胸の奥が苦しくなってしまって。
「匠君が、匠君が。」
まるで胸の奥から涙が湧き出るようにぽろぽろと流れてくる。

「お話したいのに。毎日電話するって約束したのに。」
もう一度言いかけて。
でも、もうその時には私はしゃくりあげてしまっていて、
喉からは理解できるような言葉は出てこなかった。

「匠君の馬鹿ぁ。」

顔を上げてもどうしようもなく涙が流れて来て、いつの間にか両手で顔を覆ってしまっていた。
悲しくて悲しくて我慢が出来なくって。

お父さんの前なのに恥ずかしい。
私はなんだか、まるで子供にでもなってしまったみたいで。