第13話

 

「そういえばあの時の匠君はおかしかった。」
こみ上げてくるおかしさを抑えながら。
パッチワークの手を止めて、何時の間にか隣に座ってこちらを見ている匠君に私は話し掛けた。

 

「涼子さん、俺、涼子さんと同じ大学を受けてみようと思うんだけど。」
大学で一人暮らしをするからと、図書室にいる匠君に借りていたCDを帰した時の事だった。

「そうか、それは面白い冗談だな。受験にもお金が掛かる。親不孝は良くない。」
人がいないのをわざわざ確認してから真っ赤になって匠君が言い出したそのセリフは。
卒業したら匠君とも接点はなくなるな、などと考えていた私にとって何故だかとても嬉しかったのだけれど。
正直言って目が丸くなるような内容でもあった。

「いや、冗談じゃないって。」

「そうか、冗談じゃないのか。それはそうとよく聞くといい。匠君。」
図書室の机の向い合せに座っている匠君に引導を渡す。

「な・・なんだよ。」

「そうだな。・・・言ってみればニルヴァーナがオリジナルメンバーでニューアルバムを出すくらいの可能性だと私は思う。」

「0%じゃないか・・・」
酷い。と身を揉んで抵抗しているのを尻目に、お姉さんである私は現実的な路線を薦める事にする。

「しかし向上心があるのは良い事だ。違う大学なら可能性はある。
丁度良いことに偏差値30からの大学教育を謳っている大学が近くにある。」
そこに行くと良い。といった私に対して、

「そんなに可能性ない?俺・・・」
匠君はやだよそこ、毎年新入生歓迎会で新聞に載るし。などと返してきた。

「可能性ないだろう。」
この前の期末テストでクラス何番目だった?と聞いてみる。

「38番目だけど、これから頑張るし。」

「そうか・・・。40人中38位か。」

「43人だよ。涼子さんがここが出るって教えてくれたから、ちょっと成績上がったんだ。」

「全然変わらないじゃないか。ていうか私が試験傾向を教えてあげたのに38位だったのか匠君は。」
誇らしげに43人中などと胸を張っている匠君に溜息が出る。

「わかるか、匠君。自分の成績を自慢する訳ではないんだが、私は成績で言うと学年で大体6位くらいだ。」
誇る訳ではないが、無謀な挑戦を行おうという友人には現実というのは厳しいという事も示さなくてはいけない。

「うん。知ってる。女の子の中で一番なんだよね。」
自慢しちゃった。と嬉しそうに言う匠君を睨みつける。

「余計な事は言わなくて良い。8クラスあるから一学年360人として、巧君は300〜320位だ。」

「違うよ。298位だった。」
まるでその違いが合否を分けるかのように匠君は言う。

「だから変わらないって。匠君。」
しょんぼりと肩を落とす。

「成績がどうこうではないけれど、やっぱり無理は良くない。」
その、近くの大学では駄目なのか?と続けた。

一緒の大学なんて無理に決まっている。

でもなんというか、そう。一緒に音楽の話ができる友人は貴重だから。
卒業を目前に控えた今日。卒業した後の事を匠君とお話しできるだなんて、私は思っていなかったから。

「記念に受けるのは良いかもしれないけれど、きちんと考えた方が良い。」

「・・・うーん。でも。でもやっぱり頑張るよ。なんとかしてみる。」
暫く悩んだ後、匠君は図書室の机に肘を突きながらうん。と頷いた。

「そんなに強情を張らなくてもいいだろう。それこそ浪人してしまったら大変じゃないか。」

「その、涼子さんと同じ大学に言ってみたいんだ。」
こんな何て返事して良いか判らないような恥ずかしい事を。

私はその言葉で固まってしまったし、ここからは絶対に匠君には言えないのだけれど。

匠君が同じ大学に来たいだなんて言ってくれたその時。
私は匠君の事をかわいいだなんて思ってしまったのだ。
懐かれていて嬉しいとか、あまり友達のいない私に良く話し掛けてくれるだとか。
そのときまではそんな風にしか思っていなかったのだけれど。

なんていうか、一緒の学校に行きたいんだなんて。
なんかそれは匠君らしくて、なんだかとても素敵な事を言われたように思ってしまったのだ。

「無理をしては良くない。でも。」
勉強でわからないところがあれば、聞いて来ると良い。
そんな事を言って引っ越し先の住所と電話番号を教える約束をした。

その時にはもう、私は匠君と一緒にいたいと思ってしまっていたのかもしれない。

病院の外から、鶯の鳴き声が聞こえてくる中、ふう。と息をつく。

正月には下手っぴだったのに、大分上手になったものだと思う。

膝の上の荷物を横にどかして、いつの間にか最近長くなってしまった髪を後ろでもう一度纏め上げる。

「しかし受かったと聞いたときはびっくりしたな。」
匠君はあの時いきなり電話をしてきたし。なんて続けた。

ベッドの方を向く。さっきまでベッドの上でこっちを向いていたはずの匠君は、いつの間にか元に戻っていた。

「絶対無理だと私は言ったのに。」

いつものように匠君の頬にそっと手を当てて。
こうやって最近私はよく匠君とお喋りをする。
なんだか少し寂しくって、あんまり良くない事なのかもしれないけれど。

匠君のほっぺたを拭って。

ニルヴァーナは未だにニューアルバムは出してない。
カート・コバーンはもういないんだから。

でも、そうだとしても。
あの時可能性が0%だなんて匠君に言ったのは私の間違いだった。
匠君は電話をかけてきたんだから。

「受かりました。涼子さん。やったね。」
だなんて。まさかの偏差値30からの大学受験を成し遂げてくれた。
一緒の大学に行きたいんだ。なんて笑わせてくれる。
頑張ったね、なんて私も思わず何の芸も無い返事をしてしまったけれど。

「今日は帰る。早くて悪いけど少し買い物をしなくてはいけないから。」

試験日の前、私は何てことなしに神様にお祈りをした。
匠君が受かるといいな。なんて。

「おやすみ。匠君。」

無宗教の癖にって怒られてもいい。
車から必死で匠君を引きずり出した後。
救急車に乗った私はいつのまにか同じように目をつぶって胸の前で手を合わせていた。

「また明日。そろそろ起きて。」

絶対無理だなんて思わない。
私の間違いだったのだから。