第12話

 

病院の中は時節、廊下をぱたぱたと歩く音と、窓の外から聞こえる車の音以外は殆ど音がしなかった。
あんまりにも静かだから私はこうしてラジカセをかけることにしている。
勿論音量には気をつかいながら。

そんな風にしてゆっくりと2人で音楽を聞いているとなんだか映画館にでもいるような気もしてきたりする。

私位の年のロックファンは一番最初に何を聴いてロックファンになる人が多いだろう。

メタリカとか、ガンズとかだろうか。いや、エアロスミスやクイーンかもしれない。
どれも私の年代からすると微妙に古いバンドで、でもその魅力的な音楽や、
退廃的もしくは刹那的な雰囲気に惹き付けられてファンになった人が多いと思う。

始めは先輩やお兄さんお姉さんから煙草と一緒に教えられて、と言うのが普通なのかな。
それは少しマンガの読みすぎだろうか。
テレビで見てとか、クラスの友達に教えられてかもしれない。

私はというと母の部屋でよく一緒に聴いたエアロスミスとマイケルジャクソンが始まりだった。
後はたまにピストルズも。(これは小さな音でだったけれど。)

今考えると私の母は明るくて可愛らしい人だったように思う。
いつでも優しくて笑っていて、そして若々しい感じのする人だった。
まあ19で私を産んだのだから私が小学生に入ったときはまだ25歳。
とても若いお母さんであった事には違いはないのだけれど。

私にとって小さな頃から母とは病院にいる人だったけれども、
亡くなる前に自分が不幸だとか、不便だと私が思った事は一度も無かった。

ご飯や洗濯は近くに住んでいるおばさんや父の道場にいるお兄さん達がしてくれていたし、私もできるだけお手伝いした。
大勢の人に囲まれて育ったから家事は皆でわいわいとやる物だと思っていたくらいだ。
そういう家庭環境も理由の一つだと思う。
けれどもそれ以上に母は子供に病気を感じさせないほど明るくてお話が上手で、楽しい人だった。

行くといつもにっこりと笑って私をベッドの上に載せて抱っこをしてくれたし、
小学校に入って、私が一人で病院に行けるようになるとお父さんには内緒よ、
と言いながらベッドの下に隠すように置いてあるラジカセとカセットテープを持ってきて色々な曲を聴いた。
私はそれが楽しくって学校の事とか、昔のお話を一生懸命お母さんにした。

私はお父さんにばれちゃいけないと思ってずっと黙っていたのだけれど、
考えてみればラジカセを買ったのはお父さんなのだ。
あれはお母さんの私に対する悪戯っぽいちょっとした秘密、だったのかもしれない。

 

ぼうとパッチワークを続けながらふとそんな事を思い出していると、後ろの椅子にお母さんが座ったのがわかる。
手を止めて針を針休めに刺して話し掛けた。

「中々うまくいかないんだ。困ってしまう。」
ふう、と溜息を付きながら言うと、体重をかけた後ろの背もたれがきいと鳴った。

「あら、大丈夫よ。涼子は頑張っているもの。」
何を言っているの。という風に窘められる。

「そうかなぁ。私、何にもしてない気がする。お母さんの時と同じ事してるだけ。」
拗ねたように言ってみる。

「あら、お母さんの時も涼子は頑張ったじゃない。よく遊びに来てくれたわ。」
なんだか後ろで手仕事をしながら話しているような感じで。

「だって私が楽しかったもの。あれはお母さんの為じゃなかった。」

「それで良いのよ。お母さんも楽しかったんだもの。
ふふ。道場で皆に構われて育ったから、涼子ちゃんは甘ったれでいっつもよく泣いてたのよ。」
思い出すような声で後ろにいるお母さんは言う。

「今は泣いてなんかない。」

「そうね。涼子ちゃん、強くなったね。」
ちょっと残念そうに。

「覚えてる?お母さん。」
「なあに?」
「ロックは弱い人や元気が欲しい人が背中を押してもらう為に聴く音楽なんだよ。って」

「あら、懐かしい。そうよ。強い人が聴くんじゃなくて、強くなる為に聴くの。
えい、頑張るぞって。涼子ちゃん、そんな事覚えてたんだ。」

「うん。私、今でもよく聴いているんだ。」
匠君もそういう曲が好きみたいだ。と続けた。

「そう、じゃあ大丈夫ね。」
お母さんは感心したように。
まるで、何の心配もいらないような口調で。

「・・・もう行ってしまうの?」

「・・・・」
最後の言葉は聞き取れなかったけれど。

ふと気づくと部屋の中は薄暗くなって、いつのまにかお母さんはいなくなっていた。
ぼう、と病院の白い壁をながめる。

時計を見るともう帰る時間になっていて。
膝に置いてあるパッチワークの道具を袋の中に入れる。
お話をしていたおかげで今日はあんまりパッチワークは進まなかった。

少し伸びをしながら立ち上がる。
病室の電気を付けて赤い夕暮れの中、カーテンを閉めた。

ドアの近くに歩いていって外を確認する。
薄暗い廊下に人がいない事を確認してから。
寝ている匠君の頬にそっと手を当ててゆっくりと顔を沈みこませた。
こればっかりはいつも少し照れてしまう。

すっと指で少し濡れてしまった所を拭って。

でも、そんなに悪い彼女じゃないと思うのだ。
これくらい、匠君は許してくれる。
いや、どちらかというと喜んでくれないと困ってしまうのだけれど。

これがお話なら、目を醒まそうってなものなのに。
仕方がない。

「じゃあ。匠君。」
返事は無い。

「おやすみ。」
手をちょんと突っついてさよならの挨拶を。

また明日ここに帰ってくるんだけど。