第8話

 

「匠君はずいぶんあっさりとしているな。」
不満そうな顔で言う。

「そんなこと言っても寒いだけだよ。」

そうかな、わくわくするんだけれどな。と言って涼子さんは膝を屈めて足元の雪を拾った。
桜色の着物の袖が雪につきそうになって。

「ちょっ。涼子さん、着物汚れるって。」
固めるでもなくえいや。と俺にぶつけてくる。

「うわ!冷たいって!」

「匠君は雪合戦とかしなかったのか?」

「したけど。小学生の時くらいだよ。」
なんだ。私は空手道場の子供たちと毎年しているのに。
とアップにした髪に刺したかんざしを弄りながら涼子さんは雪で濡れた片方の手をぱっぱと払った。

急に匠君、初詣に行こうという電話が入ったのが31日の夜だった。
31日に雪が降って、本当なら元旦は外に出ないでコタツの中で暇を持て余していようと考えていた俺はその提案に飛びついた。

午前十時。まだ日は高く上っていなくて、吐く息が白い中。
涼子さんの家と俺の家の中間近くを待ち合わせ場所にして、こうして二人でてくてくと近くの神社に向っている最中だった。

「そういえば、向こうに戻る話なんだけれど、うちの父が車で送ってくれるんだ。匠君も一緒に帰らないか?」

「え?遠いのにお父さん大丈夫なの?ありがたいけど。」

「高速を使えばすぐだと言っているし、金曜に向こうに行って私の家で一泊したいんだそうだ。」

「そうなんだ。うーん。なら、良ければ。」

「そうか。良かった。実はその、」
言いにくそうに口篭もる。

「うちの父もそのだな、匠君の事を見てみたいなどといっているんだ。」
そんな事を言って、何故か涼子さんはついと視線を逸らせた。

「・・・・涼子さんのお父さん、俺の事知ってるの?」
背筋を這い上がるようななんとなく本能的な恐怖感に襲われる。
なんとなくなのだが。
空手道場の館長か。角田みたいな方だったらどうしようか。
ローキック対策ってどうやるんだったっけか。

頭の中で角田とスパーリングをしている間、涼子さんは隣で片方の眉を上げて何か考え事をしている顔をしていた。
暫く考えた後、涼子さんはこほんと咳払いをして。

「ん、そ、そりゃあ同じ学校でその、一緒にバンドをやっていたりするんだ。食卓や電話で話題にくらいはする。」
まるで怒ったように涼子さんはそう言って。

「それは置いておいて、それじゃあ私達が向こうに戻る時は、うちの父に一緒に送っていってもらう事にしよう。」
私達という部分に妙に力を入れて。
そう言って涼子さんはくるりと表情を変えてなぜだかとても嬉しそうに笑った。

「しかし夜の間によく降ったみたいだな。」

「ね、それにあんまり人のこない神社なのかな。真っ直ぐな道なのにあんまり足跡も無いし。」
昔何度か行った時はそこそこ人がいたのになあ、と涼子さんは首を捻る。

「俺は雪と言えばママス&パパスかな。」

「ん。んーと。・・CALIFORUNIA DREAMINか。」

「さすが。」

「寒くって故郷に帰りたいという歌だったな。」

「うん。ニューヨークは寒すぎるって。確か。そんなんだっけかな。」

隣に歩いていた涼子さんは少し前に出て手にはーっと白い息を吹きかけるとくるんとこちらに振り向いた。
自然と俺も歩みを止める。

「今年初めて親元を離れたんだ。匠君はホームシックになったりはしなかったか?」

「うーん。あんまり。もちろん、たまには帰りたくもなったけどね。」
涼子さんがいたから。と小さく付け足した。

「そうか。私もだ。昨年は帰りたくてしかたない事があったりしたんだけど、今年は全然無かった。」
と、涼子さんは少し目線を神社のある方角に向けてそう返してきた。

 

さくさくと神社への真っ直ぐな道の真ん中に二人で立って。
昨日の夜の雪が嘘のように冬の青空は抜けるように高くて、
見上げるとなんだか吸い込まれそうにも思えた。

歩きながら涼子さんは着物の裾をちょっとつまみながら。

「似合うかな。これ。」
どうだろう、ととても女の子らしく聞いてくる。

「も、もちろん。」

こくこくと頷く。似合うも何も。
涼子さんがこれほど和服を着こなせるとは思ってなかったし、
今日の涼子さんはすごく、こう良い意味で女らしく思えた。

「そうか。匠君がそう言ってくれるとうれしいな。」
本当に嬉しそうに涼子さんは言って。

雪道を2人でまた歩き出す。

一緒に歩きながら、横の涼子さんは少し息をついて。
前を向いて、涼子さんはなんでもないことのようにそのままの口調で続けた。

「匠君が私と同じ大学に来たいと言って頑張っていたと言う事を聞いた時、私は嬉しかったんだ。」

「それで、今年になって一緒に練習したり、学校でお話をしたり。たまにその、、遊びに行ったり。」
一言ずつ区切るように。

「私にない事がいっぱいあって。」

「だから、うん。」

少し目をそらせながら。桜色の着物の襟元を左手で抑えて。

「だからこれからも匠君と一緒にいられるといいなと私は思う。」
涼子さんはそう言って横目でこっちを見ながら、がらじゃないかなぁ。と薄く紅をぬった唇を少し歪めて笑った。

突然の涼子さんの言葉に、俺は顔を伏せてしまう。
何も返答が出来なくて、情けないけれど。
でも言われた言葉の意味くらいは俺にも判った。

 

それでも。

「神社が見えてきたぞ、匠君。」
沈黙を払うようにそう言ってたたと先に行こうとする涼子さんの手を取って、俺は勇気を振り絞った。

「俺もこれからも一緒にいたい。涼子さん。」

涼子さんはアップにした髪をこちらに向けて。
取った手に指を絡ませてきて、目尻を下げる涼子さんにしては珍しい笑い方で。

「これからもよろしく。匠君。」

そう言って、積もった雪に映る影を一つにしたまんま。
神社の方に俺と涼子さんは歩き出した。